Yahoo!ジオシティーズの終了に伴ってのHPの移行作業中にアクシデントが起こりました。その結果、長年(劇団早稲田小劇場&劇団旧眞空鑑在籍中/1974年~、ラドママプロデュース/2002年~)の写真等を含むほとんどのデータを失いました。紙資料はどっかの段ボールに残ってるはずですが、もうアップするのヤダ。以下は、ところどころ残存したブログのほんの一部です。以下、新HP/URLです。準備中のままですが...。
 https://radomama.blogspot.com/
 



201465 () <梅雨入り>
 この頃、肉ばかりを喰らっている。あれほど肉食批判をしていたのにもかかわらず、肉、肉、肉の日々。いいかげんな人間だ。そして、主食は大麦、肉には麦が合うからだ。徹底していいかげんなことになっている。本日、こごみを食す。こごみとはシダの赤ちゃんみたいなもの、グロテクスな形状、この季節だけのもの、シンプルにおひたしで。巻き巻きしてるのをそっと伸ばしてほこりを払ってから茹でるという神経質な作業をしてるので割りと手間がかかる、手間がかかっても初夏の味わいだ。
  マンション管理組合の副理事長(クジで負けた)であるあたしは、隣のマンションとの合同防災訓練なるものにも積極的に参加しないといけないのだ。公園に設置されたテントの中は一寸先も見えない白煙、出口に向かって進んでくださいという声、どっちが出口が分からず急に恐怖に襲われ[助けてください!]と叫んでしまった。あんなの絶対ダメに決まってるじゃん。
  K監督達とのミーティングも回数を重ねる事によって描きたい事の骨格が少しずつしっかりとしたものになってきた。自分達にとってありありとしたものの探求、それが結局、普遍性へと繋がる。
 明日から出かけるのに生憎の梅雨入りだ。


 2014524 () <どうでもいい夢とよくない夢>
 シェークスピア研究の第一人者Kさんにオムレツを作る、眠りかけで起きたくないので目覚めてから食べると彼は言う、あつあつの出来立てを食べてほしくてその出来立てのあつあつを彼の寝顔に乗せる、熱がりもせず幸福そうな笑顔。
 重箱のような器を左手に持ち右手の人差し指で一々気になる箇所を示しながら、こことここを洗うのがマリちゃんは上手とか母が言っている。 旅先、ツレは大勢、今夜中にお風呂に入っておきたい、しかし浴場がどこにあるのか探せない、そうこうしてる間に朝になってしまった、みんなはお風呂なんていいじゃんとか言っている、もの凄く不安になる。 東西線でかなり行った方に多分葛西とかそういう辺りだと思うけど、古いがそこそこ広い家を借りている、そんな事すっかり忘れていた、家賃を相当長く払ってないらしく、大家からやんわりと連絡があり久しぶりに行ってみるがその借家に見覚えがない、まあいいかということで、こんないいとこがあるんなら息子たちに住まわせればいいなと彼らに相談すべくその借家のすぐ近くに住んでるはずの息子たちの住処を訪ねようとするのだがぐるぐるして辿り着けない。  以上が一晩に見た夢、で、その心当たり。Kさんには最近駒場の東大で挨拶したばっかりで確かにニコニコと幸せそうだったし、前回実家に行った折りコレはゴミとしか言いようがない母のものをブツブツ言われながらも大分処分したし、もうすぐ高校時代の友人達と京都旅行に行く事になってるのだが総勢百人だと聞いてイマイチ乗り気じゃない気分だし、あと、明日マンションの総会が公会堂で開かれるんだがアタシは理事会の副理事長ってことでコレは夢じゃなくてホントのことなんだけどダカラそれは面倒な役回りでシカシ都会で暮らしてるんだから仕方ないなあって思ってる事の表れみたいな事かも知れない、この最後の住まいに関する夢は。 夢は毎日見る。たいていは昨夜のようなどうでもいいようなもの。どうでもよくないものはここには書かない。そういや、こないだ実家の近くの居酒屋でPちゃんとM下さんに会ったのだった。遠慮のいらない関係だからどうでもよくない怖い夢の話しもちょっとした。どうしてああいう夢トキドキ見るんだろう、あれ、絶対やばいよね?
 さて、映画だ。丁寧に話し合って時間をかけたプロット作り。K監督の新作と同時進行で、「材料シリーズ三部作第三部」も映画にするかもしれない。いや、まだ決めかねているが。 解体社の夏公演には出演するつもり。問題はプレゼンのテーマをどうするか。





2014511 ()  <ヨロコビの新しい山>

 高円寺で宮沢さんのヒネミの商人、東大での河合さん新訳のシェイクスピア、ノゾエ君のイヨネスコは昨日、その前日は早大大隈講堂での鈴木忠志トークショー、解体社での久しぶりの稽古、K監督たちとの打ち合わせ、おまけにマンションの理事会等、とにかく脈絡なく気忙しい。そんな気忙しさの中でもこつこつと勉強だ。人に巻き込まれてやる喜びとは別に、自分の愉悦と研究のようなもの、いわばライフワークだ。ヨロコビだがシンドイ山が二つ。両方ともが新しい山。少しずつ、少しずつ。

 

 明日は豊橋。いつもの事だが、きっとばたばたとすることに。猫がなぁ、新幹線車中を思うと憂鬱。






  2014年6月29日(日) < 一人歩き>
  一週間程前の夜中、背骨の一カ所にジクジクとした痛みを伴った違和感。目覚めると右太ももあたりにひりひりとした痛み。次いで翌日にはその感覚が右脇腹から右の腰に移動、そして今また右太ももへ。筋肉痛とは思えない。ネットで調べる。4~5日して発疹が出たら帯状疱疹だという。痛みを我慢しつつ発疹を待つ。いっかな出る様子がない。これは帯状疱疹ではないと断定。さらに調べる。続いて疑わしいのは座骨神経痛である。座骨神経痛とは座骨神経が刺激されることに起因する神経痛だという。そりゃそうだろう。あくまで症状であり、病名ではないらしい。最も多い原因は腰椎椎間板ヘルニアであり、約90%の座骨神経痛はこれが原因とされている。腰椎椎間板ヘルニアの場合の下肢痛は、椎間板ヘルニアによる神経根圧迫により生じ、症状は片側の下肢痛が多いという。ぴったりじゃないか。ということは今のあたしの状態を端的に言うと、座骨神経痛という症状であり、病名は腰椎椎間板ヘルニアなのか?そうだ、そうに違いない。早速、YouTubeで座骨神経痛に効くストレッチだ、そして迷わずに漢方薬の芍薬甘草湯を服用。ひとまず、これで様子を見よう。病院なんかに行くもんか。
 
 高校時代の同窓生たちと京都へ行ったのだった。清水五条の橋のたもとの鶴清で川床料理に舌鼓。翌日は東福寺や伏見、そして寺田屋へ。別行動で父の納骨先の知恩院でお参り。その後、鍵善でくずきり。相変わらずの美味なり。あと、新幹線に乗る前にぷらぷらと三十三間堂へ。いつ来ても京都で一番の面白さ。思えば、京都にはちょくちょく来ているが、こんなふうに一人歩きしたのは初めてだ。旅先での一人歩きは苦手だったが、一昨年、解体社の公演ツアーでワルシャワに行った時に一人歩きをさんざんしたおかげで、その楽しさを覚えた。ワルシャワの人通りの少ない夜道を歩きながら空を見上げて、朧月を何枚も撮ったのだった。大丈夫だ、あたしはもう一人旅が出来る。来年、還暦だけど・・・。よかった、間に合った、還暦に間に合った。

 K監督たちとのミーティングもかなり佳境にさしかかった。息子はNHKの撮影で忙しくなるという。彼のスケジュールに合わせながらもこの話し合いを詰めていかないとな。

 実家の納戸やら、仕事場の納戸やらの片付けを含め、ようやく一通りの区切りがついた。何がどうというわけではないが、諸々の雑事の処理に見通しがついたのだ。さて、本腰を入れて雑事じゃない事に取りかからねば。
 ああ、それなのに、明日は朝っぱらからマンションの理事会があるじゃないか、しかもそれに続いてペット委員会もある!ウキー!!めんどくせえ。



2014年7月2日(水) <集団的自衛権>


 米国人の血を流したくない戦場に自衛隊は優先的に配備されることに。そうなれば、だれだって自衛隊員になんかなりたくない。当然、次は徴兵制だ。賛成してる人は、その覚悟が出来てるんだろうか?いや、出来ているんだろう。こんな簡単なシナリオを先読み出来ない程アタマノワルイニンゲンがいるはずない。

  病院に行った。発疹が出た。発疹が出たからには致し方ない。前回の日記で、行かないと断言したのは座骨神経症だった場合で、帯状疱疹にはどうしたって抗ウィルス剤が不可欠なんである。帯状疱疹だったんである。つまり、初っぱなの自己診断が合ってた。すごいな、あたしって。あぁ、処方箋も自分で出したい。抗ウィルス剤に加えて漢方を箇条書きにして医者に提出したら全て却下された。



 久しぶりに、李朝園で焼き肉と冷麺。しばらく見ないうちに小ぎれいな佇まい。雑然とした雰囲気の方がセンス感じたと息子はやや不満。給仕係のオンナの人がみんなかなり高齢で全員真っ黒なエプロンをつけてる。おしゃれ?不気味?李さんに挨拶したかったけどいなかった、まあ明日会うからいいや。だけど、李さんに本音が言えるかなぁ。

 


2014/7/19(土) <われわれどこから来たのか>

  豊橋に帰郷。小学校と中学校時代を共に過ごした幼なじみ達と久しぶりに会ったのだった。小中一貫校だ。田舎ゆえの公立小中一貫校だ。どのくらい田舎か。五十年位前までの夏の夕暮れ時など、道行くおばあさんたちはみんな上半身丸裸で歩いていた。それくらいの田舎だったんである。手拭いを首から下げて、それなりにその手拭いで乳房を隠しての夕涼み。あたしたちが育ったところは迷路のような地区だった。それが、四半世紀前からの区画整理で、迷う事もない隠れるところもない全くつまらないありきたりの田舎になった。風に吹かれてたおばあさんたちが迷路からいなくなって、洒落っ気のない垢抜けないただの田舎になってしまった。あたしは人数分の古地図を用意して酒場に持参。ほの暗い記憶も皆と話す事で鮮やかになりそれぞれに興奮気味。今回のメンバーは、NちゃんとY子ちゃんとアックーとM世君とあたしの五人。次回はみんなでお寺に行って、古い航空写真を見よう。「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」プロジェクトだ。あと、古墳だってあるしな。

 ついつい、母を叱り気味になってしまう実家の片付け仕事である。母は生花を飾るのが大好き、あたしは大嫌い、厳密に言うと、母は雑然とした部屋であっても生花さえあればいいと思ってる、あたしは何もない空間だからこその生花だと思ってる、しかも同じ花が一週間も生けてあるなんて気持ち悪い、切り取られた花は死体なんだよ、お母さん!

 帰京の準備中、猫がいなくなる。実家にいる間は庭に自由に出しているので、どこか遠くに行ってしまったのかも知れない。そうなると何も手につかない。母は勿論、近所の人を巻き込んであたりを探しまわる。猫が見つからなきゃ、東京には戻れない。東京でのスケジュールの変更をあれこれ考えながら猫の名を呼ぶ。お寺の境内やら墓地をまわって一旦家に戻ると、何食わぬ顔で腹を出して仰向けで寝ていた。いなくなられる恐怖。猫のいる幸せ。

 ああ、計画していることが遅々として進まない。闘病してたとはいえ怠け癖がついた。帯状疱疹は漢方薬のセレクトが上手くいって完治した。そういえば、来月から解体社の公演もあるじゃないか。あたしは9月だけ出演させてもらうことにしてある。にしても、近々稽古に行かないとなあ。

 

2014/7/27(日) <私は移動する>
    新宿K's cinemaで、つまらない映画「竜宮、暁のきみ」を観る。息子だけ図抜けていい。褒めたかないが、いいものはいいんだから仕方ない。ちゃんと匂ってるし、風も吹いて温度も感じる。もうすぐ始まる「ドライブイン蒲生」にも期待、染谷翔太君との共演はとても楽しみ。
その足で、池袋演芸場に行き、8月上席の小三治チケットをゲット。
夜、ヤフオクで冷蔵庫を落札。
待てよ、全て息子の用事じゃないか、小間使いか、あたしは。

 おばあちゃんになった横浜の妹の家へ。同居している姪っ子夫婦に男子誕生。四半世紀ぶりに生まれたてのニンゲンを抱いてミルクを飲ませる。育児なんてもう絶対にイヤ。

 先週の次回作ミーティングからもう一週間経った。明日こそコミヤさんやマッキーを加える具体的な段取りについて話し合いたい。
新しいiMacの設定にコウスケ君が活躍してはくれたんだが、まだ未完成。監督が引き継いでくれることになってはいるが、彼が噛むと大抵ややこしくなるからなぁ、楽観できないんだ、これが。

 北海道に行ってるコウスケ君に電話。何故か、ごっちゃんが電話口に。そうか、ごっちゃんちに世話になってるのか。その電話で、Sちゃんはもう北海道にいないことを知る。GとSちゃんは別れたのだった。いいんだ、別れたっていいんだよ、新しい関係の始まりなんだから。

 来週は絶対に稽古場に行きます!と昼子さんにメールで宣言。でないとまたさぼるに違いない。
9月に、解体社に出演します。

 BATIKのりえちゃんからのお知らせがあり途方に暮れる。りえちゃんにとっては一世一代の舞台、ああ困った、解体社と丸かぶりじゃないか。

 ある商品を検索した結果、その商品の類いが次から次へとPC画面に映し出される。検索したのは随分前だ。うんざりだ。検索はしたよ、検索はしたがしかし注文はしてないぞ。うちは訪問者が多い。みんながこのPCを自由に使う。その商品はですねぇ、秘密にしておきたい、一級の特定秘密に関わる商品なのね。どうしてくれよう?いながらの調達は便利ではあるが、やっぱり世界との関わりがこのように品のないことになる。いながらの調達はダメだ。私は移動する。

 この猛暑でどうしたってエアコンをつけてしまう。するとどうしたって怠くなる。するとどうしたって変な時間に眠くなる。うとうとしてマンションの理事会に遅刻。前回、いつも遅れ気味の人にしこたまキツメの注意をしたばっかりだった。あぁ恥ずかしかったぁ。

 遠藤、はたき込みで勝ち越し。


2014/8/28(木) <なにせうぞ>
 幼稚な言い方しか出来なくてつまらないんだが、ほとほと退屈で、いよいよひっくり返したくなる。来週末、劇団解体社の本番だし、やることあるっちゅやああるんだが、そういうことじゃなくて、なんかもう。今、解体社に出演中のニューヨークから来ている俳優ブライアンが言った。「舞台から客席を見ると、黄色人種ばっかりでビックリする。」うんうん、なんとなく理解。河岸を変えたいっていう漠然とした欲望が芽生えてきているのです。母親もまだ当分大丈夫そうだし、息子はゴリッパだし、しばらくいいんじゃないかなぁ、日本にいなくても。
  [なにせうぞ くすんで 期は夢よ ただ狂へ]

 そう言えば、先日の「ドライブイン蒲生」、期待を裏切られる事なく堪能した。染谷将太も小林ユウキチもかけがえのない存在として刻印されていたが、何より黒川芽以って女優には驚いた。蓮實重彦が今月の群像で取り上げている。ギリシア劇を引き合いにした的を得た批評だ。ギリシア劇の姉弟と言えばエレクトラとオレステスなわけで、ふむふむと合点がいき映画館でもう一度観たくなった。東京のあと、全国を回るはず。これはお勧めします。それにしても息子のやつ、相当いい線をかするようになってきたな。悔しいから、コマカイ駄目出しをめっちゃしてやったが。



 2014/9/9(火) <潮時>


 劇団解体社公演終了。今回はテキスト多用。死刑囚である金川と宅間の二人のテキストは、以前、あたし自身が構成して演じたものが使われた。役立って嬉しい。今回は更に、戦後初めて死刑執行された女性である小林カウの供述書、上申書をもとに構成&プレゼン、そしてそれがそのまま採用されて全体に組み込まれた。舞台の評判もよく、東大の内野さんも笑顔。あたし自身も手応えを感じる事ができた。久しぶりのストーリー性のある長台詞、テキストを一言一句いじくったりしないで言い切り、その中で最大限遊ぶ、そして千秋楽の打ち上げが始まる頃には全ての台詞をキレイさっぱり忘れる、それが昔からのやり方。急激に記憶して急激に忘却する行為は脳内クリーニングの効果あり。当たり前だが、自分の演技は生では観られない。テキストも楽日のうちにキレイさっぱり忘れるとなると、舞台の記憶は演者より観た人が憶えてくれてるものなんだなぁと改めて思う。

 

 タイミングは向こうからやってくる。K監督、コミヤさん、息子が観に来てくれた。四人揃ってのはじめてのミーティングを、終演後に市ヶ谷駅前の居酒屋で。コミヤさんの取り計らいで息子の今後はかなり大きく舵を切る事になるだろう。NHK大河が始まったが、同時期にQuick Japanの最新号に春風亭一之輔っていう落語家との対談が掲載されてる。これも一つのタイミングと言えばタイミング。

 

 材料シリーズ三部作第三部はこれまでの方法とは異なるやり方でやってみたいという願望がふつふつと。だけど、時期は今すぐって気がしない、そんなカンジ。



 潮時。潮時というコトバ。カラダの中で、何かが満ちたり引いたりしている。

2014/10/3(金) <激震と静観>
  9月29日から30日にかけての激震。今は静観する以外ないのだ。コミヤさん、K監督、息子、あたしによるミーティングが、「こんなふうな方向に行くなんて、誰が想像できたでしょう?」っていう成り行きに。息子の決意が相当数の人達の予定をひっくり返すことになった。ううむ。抜け道はない。人事を尽くして、向こうからやってくるものを待つ時間。


1014/10/28(火) <ちょっと記す>
  色々あった事を全く記録してない。それはそれでどうって事ない。こないだの土曜日に明星大学の催しで、解体社がマクベスを上演、それを観に行ったのだった。流れで打ち上げを吉祥寺の我が家でという事になり、大勢が押し寄せる。結局、みんな朝帰り。あたしは眠らないまま、マンションの自治会による「備蓄品を食べる会」に出席。水で戻したドライカレーで吐きそうになる。

 東京国際映画祭に出品されてる太田君の映画「解放区」を観に六本木ヒルズへ。想像してたよりおとなしい作品だった。前作の「わたしたちに許された特別な時間の終わり」同様、Kって俳優としては映像を全く信用してないという事が露呈されてた。なぜあれほどまでに言葉で状況を説明したがるのか?そもそも高圧的な物言いは彼には無理があるのだよ、どう言ったら分かってもらえるんだろう。帰り際、太田君と音響の落合君に遭遇、時間なく会釈のみ。チェルフィッチュのヨーロッパツアーから一時帰国との事、ちゃんとした感想は帰ってきたらという事で。チリ一つ落ちてないピカピカの六本木ヒルズの映画館で、大阪・西成の無法地帯やそこが居場所の棄民と呼ばれている人々を素材に撮った映画を観ている事の心地悪さ、そのグロテスク。相当心地悪くなったんで、そういう意味ではこのマッチングは成功かも。

 あれこれ逡巡しているうちに、To Do Listはたまる一方だ。だめだ、2日続けて夕方に起きたし。
 あと、激震後の静観もいまだ継続ちう。


2015/1/1(木) <ある友人にブログの更新を催促される>
  引越のサカイと書いてあるダンボールがエントランスに積まれていた。パンダのマークの引越のサカイである。ふと、勉強しまっせ、引越のサカイっていうかなり昔のCMを思い出したのだった。本当に何気なく、ふと思い出していたもんだから、エレベーターのドアが開いて、そのCMのタレント本人が乗ってきた時はビックリした。このマンションに引っ越してきたのだな。



 下高井戸の劇団旧真空鑑のアトリエを借りて、テネシー・ウィリアムズ「あるマドンナの肖像」を上演したのは2004年の夏だった。だから、あれからもう10年経ったということだ。ノゾエ君と出会ったりとかのアレヤコレヤが、この10年間に通り過ぎていった。10年ぶりに訪れて、富永さんと土井さんの二人芝居を観る。別役実「この道はいつか来た道」。さすがにベテランの二人、舞台は面白かった。終演後、みんなで話しているうちに、最終的にはTさんの話題に。Tさんの不在。そこにいない人のことが、いつだって気にかかるのだ。帰り際、階下の「さかもとそば」に寄る。相変わらずガランとしていた。ものすごく広い店だから余計にガランとした印象。夜の七時だというのに、スタッフ全員がテレビを見ながら、賄いの晩ご飯を食べている。スタッフと言っても家族だ。10年経ったから、おばちゃんがおばあちゃんになっていた。10年経ったからといって、そばが美味しくなってるはずもないから、サバ味噌定食を注文したのだった。ご飯が炊きたてで満足。それだけで満足。時間を経て、かつての場所を訪れるという行為。贅沢な行為。元気で生きていられたということ。

 

 同様に、古巣の劇団SCOT(旧早稲田小劇場)も観に行く。吉祥寺シアターでの「トロイアの女」。鴻さん、昼子さん、森澤君、梅原さん達とご一緒。清水さんは急病でキャンセル。終演後は、解体社の忘年会。一品持ち寄りの忘年会、あたしは大量の年越しそばを作る。好評。あたしにとってはJonのカレーが絶品だった。にぎわってはいたが、時折、沈んだ気分に襲われたのはなぜだろう?聞けばJonも同様な気分だったらしい。



 Jonのカレーの味が忘られず、メールでレシピを聞く。近場では揃わないスパイスがあるのが気に入らない。結局、Jonにつきあってもらい、新大久保まで買い出しに。帰り着いてすぐに料理に取りかかる。レシピ通りなのに失敗!なぜに?翌日、早稲田のあかねでの勉強会に、もったいないので大量の失敗カレーを持参。刺々しい味がまろやかになったのか、なぜか大好評。


 突然やってきた息子と「ほさか」へ。毎年恒例、大晦日の自宅での年越し蕎麦が今年は無理そうなので、一日早い晦日って事で。先ずは二人ともあったかい山かけ。息子は細打ち、あたしは通だから太打ちで。次は冷たいもりそばと、蕎麦の実がたっぷり入ったお汁粉を一つずつ頼んで、それぞれ半ぶっこ。どんだけ仲いいんだって話し!ホントに久しぶりにゆっくり出来るようなので、夜ご飯の買い出しは奮発。ブロッコリー中心の緑黄色野菜サラダをシーザードレッシングで、じっくり時間をかけたコーンポタージュをドンクのバケットで、ニンニク多めのサーロインステーキと普段よりちょっぴり高級な赤ワイン、デザートはチョコブラウニー入りのアイスクリームをアイナちゃんから譲ってもらったエスプレッソマシンで入れた濃いめのコーヒーと共に。舌鼓、贅沢を堪能。 

 9月末からの波乱の日々に、ようやくの見通し、ようやくというより素晴らしく理想的な見通し。息子は望み通りの方向に進む事が出来、いきなり始まった忙殺の毎日を嬉々として乗り切っているようだ。

 今年は年女。午の置物をしまって、未を飾る。札には開運って書いてある。確かになぁ、たいていのことは運だと思う。




2015/2/28(土) <画用紙に火をつける>
  艶々としたゴキブリにびっくりして殺虫剤を探すも見つからず台所用洗剤を大量に浴びせかける。落ち着いて見てみるとゴキブリに見えたのは実は黒々とした猫の頭で台所用洗剤でヌルヌルの猫がドンドン小さく縮んでいくので大丈夫洗い流せばシャンプーと同じだからと自分に言い聞かせながら浴室に抱きかかえていく。犬のようにだらしなく開いたままになってしまった猫の口に洗い場の水がガブガブ流れ込んでいる。
  捕虜になってしまった。あたしを捕まえたそいつは野蛮で原始的な武器も持っている。スパイになるからと言って何とかその場は誤魔化して薄っぺらなドアを開けて隣の部屋に逃げ込むとそこはもう味方側のエリアだった。デスクが並んだり布団が敷きっぱなしになってるその部屋でみんな徹夜の仕事をしている。そこにいる誰かを言いくるめてあたしの身代わりに捕虜として送り込んだ方がスパイになるよりはメンドクサクナイナというワルイ考えを思いつき普段偉そうな事言っときながら非道い奴だと自己嫌悪で悶々としながらも誰かを物色している。
  顔も全身もケロイドで白っぽくなった男が四十年近くも前に死んだ祖父の部屋に横たわっている。よく見たら死ぬ直前の祖父だった。あたしはそのケロイドの祖父を情夫のように抱きしめたり愛撫したりしている。
  以上が昨夜の夢。立て続けに息苦しい夢を見たのは、頚椎の不具合により左肩から腕にかけての痛みと痺れのせいに違いなく、更にそういう状況を我慢しつつイングリッシュペイシェントという鬱々とした映画を観たからだ。この十年ごとにきっちりとやってくる痛みと痺れは、いわゆる四十肩・五十肩ではない。頚椎症だよ。もうすぐ還暦なんだし、六十肩なんて聞いたことない。簡易牽引機を処分してしまった事を後悔。首をですねぇ、引っ張り上げればかなり改善されるんである。ネット注文した独活葛根湯が届くまで、普通の葛根湯で何とか乗り切るしかなさそうだ。

  今回の豊橋。ハウスオブクレイジーでのボサノバのライブ。ミュージシャンは小畑なんとかってヒト。この人のギターは素晴らしかった、MCも悪くないし、堪能した。その後、着物に着替えていきなり落語を始めたからびっくりした。面白ければ面白いサプライズ、面白くなければ残念なサプライズだ。残念だった。なんでこういう強引なことするかなぁ、一回こっきりだからいいけど。ライブ後、パセリちゃんとグロッタマスターの3人でゆっくり話せて嬉しかった。会おうと思えばいつでも会える仲良しが故郷にいることの幸せだ。


  このところ、体調と機嫌の良い母親を久しぶりに東京に招く。まずは鈴本演芸場へ。出待ちして息子の師匠に挨拶。師匠にオヒマヲイタダケタ息子と3人で帰宅。久しぶりに三世代で美味しいもの。メーンはお刺身。母は連日、近くのフィットネスクラブのプールとジャグジーでご満悦。最終日前日、息子に加えて横浜に住む妹と姪も呼び寄せ、吉祥寺の我が家で美味いもの。メーンは天麩羅、色んな食材を揚げまくる。



  全く興味のなかったアカデミー賞授賞式の模様をwowowライブで見てしまう。プレゼンターのケイト・ブランシェットとショーン・ペンの特別感に惚れ惚れ。あと、レディ・ガガって普通に歌が上手いことが分かった。だからなんだって話だが。

 

 たまたまつけたTVでエコノミストを名乗る見覚えある男が、ある紛争地の情勢について語っている。一人で背負ってる感たっぷりで興奮気味。相変わらずのナルシストぶりに笑える。四十年近く経っても人って変わらないのな、残念なものを見てしまった。そのエコノミストとは無関係に、様々な出来事を連鎖的に思い出す。喜ばしいことも苦々しいことも過去そのものを恐ろしいと思ってしまう時期があったが、今は全く平気だ。何十年か分のその時々のクッキリした画像を、夢に出てきた出来事も現実も等価に引っ括めて一枚の大きな画用紙に貼り付けて、端っこに火をつける。跡形もなくなる。そんなふうにイメージする。たちまちこの上もなく清々しい気持ちになる。なんて爽やかな心持ちなんだ!

 久しぶりにK監督と長期プランについて長電話。
 明日こそ、図書館に行って調べ物を片付ける。怠慢にも程がある生活にケリを付ける決心を、今、しました。


2015/4/20(月) <さよならを言いに出かける> 

 安定していた眼圧が急激に高くなって、担当眼科医が妙に焦り、あれこれ目薬を変えては試している。が、芳しくない。そこで、そんなに短期間にあれこれ変える必要があるのか、もしかして最初に使っていたやつに戻してみたらどうかと素朴な質問と提案をしてみる。どちらかといえばこれまで温厚な印象だった担当医が急に苛ついた様子で、じゃあそうすればいいんじゃないですか?好きなようにすればいいんじゃないですか?と、いきなり突き放すふうな口ぶりに。大抵そのような場合、相手を上回る陰湿な心底冷たい眼差しで瞬時に瞳の奥を見据えて対象を値踏みするというイヤラシイ技があたしには備わっているので、今回もついそのようなイヤラシイ値踏みする眼差しになってしまった。そしてそのイヤラシイ態度とは真逆にとても柔らかい調子で次のように言ってみた。「内科や整形外科と異なり薬の効果が自覚出来ず先生に測定していただく数値だけが頼りなのでお任せする以外にありません。」担当医はもじもじしながら答えた。「では二種類の薬をお出しするので心を合わせて頑張りましょう。」馬鹿だな、馬鹿だし気持ちワルイ。医者の馬鹿がウツルといけないので、耳鼻科にも行く必要があったが行かずに、耳鳴りは自分で漢方薬処方をして完治。あと、頸椎症としか思えない頑固な六十肩も漢方薬処方とオリジナルストレッチでOK。しかし、今年に入ってからのこの身体的ガタツキは何だろう?ここ数年、風邪なんてひいた事ないのに、先月に続いて今月も寝込まずにはいられない風邪を立て続けにひいたし、来月の還暦を目前に微調整中ということなのか。ギアの入れ直しと思えば妙に納得。で、このタイミングでなぜかさっき眼鏡が壊れた。つるがバキッと折れちまった。上等じゃないか、明日はまず眼鏡だ、もの凄くイイ眼鏡を作ってやる、ザマミロ。
 ところで、今、あたしは旅の準備をしているのだった。さよならを言うために、ある場所を訪れる。アポ無しである人物に会うつもりだが、なにしろアポ無しなだけに会える保証は全くない。会えなくたって平気なのだ、さよならをある人物に言いたい訳じゃない、さよならを言う相手はある場所だ。場所と思い出だ。そう言えば、場所と思い出っていう戯曲、別役実にあったな。もちろんそれとは無関係です。来月の誕生日はその旅先で迎える。還暦だし、ひとりぼっちで生まれたんだし、ひとりぼっちでの仕切り直しだ。そして更に夏になったら別の場所を訪れ、またしてもその別の場所にも別れを告げる。別れを告げても、いつの日かそこをまた訪れるかもしれない。訪れるかもしれないが、その場所に拘泥はしないという事だ。あと、今後はあれです、時間をたっぷりとって観察に重点をおいた日々を送ろうと思います。1992年から2002年までの10年間がそうであったように。しかしなぁ、表現する側から観察するだけのヒトを10年間やっちゃうと次はもう古希じゃないか、まぁそれでもいいか、デタラメでムダな10年間を送ろう。・・・だけどぉ心はぁすぐ変わるぅ(寺山修司)・・。  ピーチャムカンパニー楽日打ち上げで朝まで。鴻ゼミを我が家でやりその後の天ぷらパーティーで朝まで。息子・れーちゃん・コウスケ君・コウヘイ君・マッキー・りえちゃん・Jonと井の頭公園花見その後我が家で手巻き寿司大会を朝まで。カントールレクチャー@新宿ゴールデン街を朝まで。高円寺のカツラ荘(通称ウィッグアパートメント)でのご飯会、これは終電で帰宅。  「軽蔑」の息子、辛口批評で著名なMさんから高い評価。自分のことより息子が褒められると嬉しい、平凡な親バカ。  最近、実家に行くたびに納戸やら押し入れやらの整理をしている。今回は母の寝室隣のクローゼット。棚にどっさりため込んでいたカビだらけのバッグ類を一気に捨てた。一つ一つのバッグの中のちょっとしたメモとか名刺とかを見つけては、母がため息をついている。そして翌日になると近所の人々に必ず言うのだ、また大量に捨てられた、情け容赦のない娘でねぇ。なぜヒトは自分のモノを自分では始末できないのか。マリマリと母とあたしの三人で、ほこりをはらおうと銭湯へ。パセリちゃんが教えてくれた井戸水を湧かしている銭湯、こじんまりしていて気に入った。  それにしてもこの頃のアベ自民、原発再稼働仮処分判決無視やテレ朝・NHK報道呼びつけ等の開き直りは目に余る。あまりにも分かり過ぎるヤクザなやり方がまかり通ってるから、なんだかむしろ分からなくなってきた。そんなこんなで麻痺していくんだな。めんどくさくても一々怒って目くじら立てとかないと気が付いた時には結構なとこまで入り込まれちゃうからね、ヤクザってホントいけ図々しいから。







   今、ニューヨークに来ている。ほぼ30年ぶりだ。さよならを言うつもりが、この街との関係が深まった。滞在ホテルはミッドタウンにあり、玄関から夜のエンパイアステートビルがこんな風に見える。しかし、あたしにとってはやっぱりソーホーあたりが一番しっくりくるのは相変わらずだ。スプリングストリートの突きあたりに住んでいる彼らのためにすき焼きを作った。彼らの部屋もキッチンも素晴らしかった。別れたくなくとも別れはやってくるし、別れを決意した途端に関係が深まることがある。というかそればっかりだ。というわけで、あたしは還暦を思いがけない人たちに思いがけず祝ってもらうことになったのである。人生の不思議ワールド第二幕の始まりだ。あらゆる事は向こうからやって来る。身をまかせる、ただそれだけ。
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  2015/9/7(月) <利賀村、そして新宿>   

備忘録としてのブログのはずが、様々な事が起こりすぎて、全くアップ出来ていない。そうこうしている間に、酷暑の夏が立ち去り、いつのまにか薄ら寒いような秋に忍び込まれている。大キライな季節。色々ありすぎたが、これだけは記しておこう。8月28日から二泊三日で、利賀村へ行ったのだった。30年ぶりの利賀村。フェスティバルに初めて観客として訪れた。いわば、退団30周年記念。30年経って、ようやく行ける気になれたのだ。大小様々な劇場や宿泊施設が建ち並び、大帝国になっていた。その中の小さな合掌造りを覗いていると、おそらく30年前にはまだ生まれていなかったような若い劇団員に、「そこは衣装保管の建物です。」と声をかけられた。絶句。40年前、劇団が初めて利賀村に来た時は、居場所はここだけだった。たった一つの小さな合掌造りの一階が劇場であり、劇団員は皆んな二階で寝泊まりした。その頃、研究生だったあたしは、一階の舞台に布団を敷いて寝たのだった。稽古と稽古の間にベニヤ板を持ち出して、その上にこのうえなく貧しい食べ物を並べての食事。今は、別棟にグルメ館なるものが・・・。到着してすぐに、忠さんに挨拶。ここ最近は東京で毎年挨拶できているが、さすがに利賀村で忠さんの顔を見たら感慨もひとしお。今回は、ツタモリさんに何度も車で送り迎えしてもらう等、世話になった。何しろ大帝国だから、あちらこちらと移動が大変なのだ。一泊二日で解体社の清水さんたちもやってきたので、帰りは北陸新幹線の隣り合わせで帰京。この新幹線のおかげで、往復に要する時間がとんでもなく短くなった!
もう一つ記すべきは、新宿について。新宿と新宿ゴールデン街について。ラドママプロデュースの次回作は、この街の一角にあるフォトギャラリーにおいて発表します。詳細はまた後日。
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  たった今、可決されちまった。5月に、ニューヨークの友人宅で日本食を振る舞った時に、みんなに聞かれた。「日本人として、日本食の他に自慢できるモノは何?」日本人としてとか、日本国とか、あたしにとってはどうでもいい、ただ「非戦」という立場・態度は数少ない好きなモノのうちの一つだって、答えた。それさえ、もうなくなったわけで。金もないのに軍拡路線マッシグラだな、抑止力なんてあるわけないじゃん、こっちが武器を持てば相手は更に倍増しになるだけ、アタマ悪いなぁ、とにかく、この国は、「非戦」というたった一つの知性を捨てた、しかし、白色票を手にした議員が、みんな何故かしら俯いておどおどしていたのには笑ったなぁ、ココロザシや思想なんてないんだから当たり前か、アベにすり寄ってるだけ、アベはアベでアメリカにすり寄ってるだけ、さすがに岸の孫だ、アメリカの犬になる事を条件に巣鴨から解放されたA級戦犯容疑者の血筋、さすがだ、シッポの振り方に血統書付きを感じさせる、おべっか使ったり使われたりダイキライ、シッポ振りながらすり寄って来たヒトと親友なんかになれないよ、それにホントに大事に思ってる人には恥ずかしくてシッポなんて振れるもんじゃないよ、ああもう自分でも何書いてんのか分からなくなってきた、眠いし、久しぶりに酔ったし、だからあたしは犬なんて昔からキライ、だからコドモの頃から猫しか飼ってない、今も、これからも!寝る!


 2015/10/31(土) <南2号の謎>
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  そういえば、今月は京都に行ったのだった。母のお供で、父の納骨先の知恩院へ。宿泊先のホテルの部屋から知恩院の国宝・三門がよく見渡せた。何度訪れても苦手な街だったが、今回は少し印象が違った。多分、宇治の平等院(写真/中)まで足をのばしたからだ。阿弥陀如来像を取り囲む、52躯の雲中供養菩薩像。そのうちの、南2号と呼ばれる菩薩。いつからか長い間、頂いたわけでもないのに、この菩薩像のポストカードがなぜかしら手元にある。一時期、気になってしょうがない頃があって、壁の一番目立つ場所に貼ってあった。好きな顔立ちだからか?釣り竿のようなものの先に謎な物体をぶら下げているからか?今回はラッキーな事に、平等院に隣接しているミュージアムにホンモノが展示されており、極めて間近で心ゆくまで見入る事ができたのだった。心ゆくまで見入る事はできたのだが、もやもやしたままの心持ちでもある。ぶら下げているのは天蓋、ほかの菩薩はみんな楽器。。なんだか分からなくなってしまった。まあいい。というわけで、宇治を経て奈良方面なんだな、やっぱり。どう考えても、そっちの方からいい風が吹いてくる。次回のお供旅は、知恩院そこそこで、母を強引に奈良へ。という作戦。





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  間違った。あたしを魅了し続けていたのは、こっちの写真の南2号だった。さっきのは、今回、ミュージアムの売店で買い込んだもの。分かりにくいかもしれないが、全然違うのだ。もう全く別物。写真家の技量の違いで、謎の深みに雲泥の差がつくのであった。


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数年前はまだこんなふうに、猫のアタマより小さかった水棲動物。息子と二人で、綿棒や歯ブラシを使い洗ってやるなど清潔を保ち、大切に育てた。ガラスの小ぶりな水槽じゃ間に合わなくなって、浴槽に移した。何しろ浴槽なだけに大きさとしては十分に間に合ってはいたが、浴室がすっかり亀一色なことになり、さすがにマズイだろうという事で、悩んだ末、愛知の義弟に任せることに。実家に帰るたびに様子を見る。屋上のプールで金魚やザリガニと共に過ごす事、四年。丸々と、とてつもなくデカクなった。しかし、むこう半年間、立て替えのため、しばしプールから引越しせねばならない。タライに移されての仮住まい。さて、今年の冬眠はいかように?母の家のテラスなら水回りも心配ないし、決定だな、と思っていた。けれど、先ほど、義弟から電話があった。その水棲動物が死んだという。すでに土に埋まっているという。言いにくいけど、そういうことだという。前回行った時、イヤな予感がしたのだった。こんなに浅いタライで大丈夫か?金網のふたもグラグラしてる。そんな予感がしたんだから、迷わずその時、あたし自身がテラスに移動させればよかったんだ。だから、あたしのせいだ。タライと壁の間に挟まって死んでいたのは、あたしのせいだ。カメヨは、ガラスの水槽からも浴槽からもプールからもいつも逃げようとしてたけど失敗。今度は成功したけど死んだ。享年七才。別件で、ある人物からのレスポンスを待って苛つき気味だったが、そんな事どうでもいい。喪中につき、もう誰からの返事も要りません。



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  シリアがこんなふうになる前から、もう15~6年来、アレッポのオリーブオイル石鹸を愛用している。2~3年前までは、マツキヨ等フツーにドラッグストアで購入出来たのだが、今は店頭には置かれていない。なので、仕方なくネット注文で取り寄せているのです。以前とメーカーが違っていて、少しばかり紛い物のようだけれど、アレッポの市井の人々が製造してるには違いない。アサド側か、反勢力か、ISか定かではないが、ギューギュー牛耳られて吸い上げられて酷い目に合いながらも、市井の石鹸職人によって作られた石鹸だ。あたしは、このシリアの石鹸で、自分のカラダのホウボウを洗っているのです。今のオランド大統領が、イラク戦争の時のブッシュに重なって見える。ISに加担の気持ちなどない。しかし、ISには空爆するチカラも金もないから別の方法で戦う。敵国に送り込んだ戦闘員や、敵国にいる潜在的予備軍を組織して活動させる以外に攻撃手段がない。空爆だけではなく、無人遠隔操作等あらゆる手段を使って遂行されている「テロとの戦争」。この無人機攻撃の9割は誤爆だという。それによってどれだけの人々が殺され、住む場所を破壊されているのか?テロ行為は言うまでもなく野蛮だ。けれど、「テロとの戦争」と言い放っての「文明国」の空爆による殺戮行為はそれ以上に野蛮だ。あたしはロボットに殺されるなんて絶対にイヤだ!あたしは、明日にでも難民になるかもしれない人が作っている石鹸を、今日も大切に丁寧に泡立てて使うのだ。
   写真は、カメヨの墓。



  昨年の晦日の年越し蕎麦、大晦日の雑煮と、息子の仕事の都合で妙な塩梅の一年の終わりと始まりでスタートしてから、今年も気が付けばもう山桜のシーズン。色々あり過ぎて思い出せない。同級生のY子ちゃんが心臓関連の病気で倒れ手術で九死に一生をえて、同級生のもう一人のY子ちゃんが心臓関連で急死してしまった。実はこの十年近く、胸が締め付けられるような痛みに襲われることがしばしばあり、思い切ってカテーテル検査なるモノを受けたのだった。結果は全く問題ナシ。美しく逞しい冠状動脈ですと、担当医。しかしなぁ、想像以上にキツイ検査だったのです。せっかくの健康な血管を造影剤とX線で傷つけ、あと故意に心臓まわりを痙攣させたりして、ソノコトで相当に消耗したのだった。不調を訴えてカテーテル検査を受けたうちの七割に異常がないという。あたしもそのうちの一人なんだが、じゃ、一体ナニがあたしの胸を締め付けるのか?

 今月、劇団「解体社」の公演に客演します。「セリーヌの世紀」三部作の第三部。 




 松本さんの諸々な事情でMODEが活動休止というので久しぶりに上野ストアハウスへ。終演後の飲み会で有薗君や大鷹さん夫婦達と歓談。その流れで有薗君も大鷹さん夫婦も解体社公演に来てくれる事に。解体社には早稲小時代の後輩の高山君(30年ぶり)、とよはし芸術劇場PLATのYさんとIさん、ベルリン帰りの内野さん等大勢の人達、あと旧友マロ。彼の差し入れてくれたテキーラは絶品だった。ということで無事に解体社公演終了、今回のセットはイカシテタ。そのアトリエの風貌は近々演劇雑誌「テアトロ」の表紙を飾るだろう。Aさんも千秋楽に来てくれたのだった。そろそろ彼女との稽古を始めなきゃなと思うのだった。

 何年かぶりに酷めの火傷。流水と氷とサメの油でひたすら治療。考え事をしながらの料理ゆえ。息子から元親戚達の現状を聞いて、はてどうしたもんかと、今のあたしの立場では収拾がつかない事をボンヤリ考えていたわけだが。

 何であれ、どういう対処をすべきか考えが全くまとまらずとも、時間をかけてその事態を遠くから離れて客観的に眺める。すると何となく閃く事がある。まぁ閃いたからといっても事態を操作出来るわけではないけれど。つまるところ流れのいいなりになるしかない。いいなりになるしかないけれど考えられる限り考えたという「時間」は貴重で、そんな「時間」にいつも助けられてきたのだった。そんなふうに腹をくくると少しばかり道が開けるのです。

 われわれの人生の場景は粗いモザイクの絵に似ている。この絵を美しいと見るためには、それから遠く離れている必要がある。間近にいてはそれは何の印象も与えない。~ショーペンハウアー~





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 「モダンスイマーズ」の主役に抜擢された「はえぎわ」の川上友里ちゃんを観に、東京芸術劇場へ。素晴らしく成長した友里ちゃんを堪能。川上友里がラッキーというより、ホンが川上友里を得て幸運という出来映え。楽日を終えた彼女を我が家に招き、久しぶりにゆっくりとおしゃべり。お土産のワインを飲みつつ晩ご飯を食べて、DVD見て、猫と遊んで、お泊まりしてもらってという楽しい時間を過ごす。いやいや、今後の彼女が楽しみなり。

 訳あって、Lちゃんと椎名町の不動産屋を訪ね、物件の内見。でもって、駅前で凄く美味な焼き鳥やらハムカツやらで乾杯。駅で別れたあと、ふと奇妙でリアルな既視感。そういえば、遠い昔、ここに住んだことがあったような・・。少し歩いてみた。月並みだが、色々と乗り越えて、今があるのだな。

 新宿ゴールデン街の一角が焼けて1ヶ月が経とうとしている。ブルーシートがかかっている「流民」という店の2階が火元。白い壁がポツンと1枚残ってる。この4~5軒先のフォトギャラリー&バーが、ラドママプロデュースの次回作の会場となる予定です。

 新宿が好きだ。肌に合う。30年以上住んでいる吉祥寺よりもしっくり来る。思えば、新宿から東京の全てが始まったんだった、あたしにとっての。



  

      風呂は好きだが、  長湯はしない。十、数えたら出る。じゃあ、シャワーだけでいいだろと他人は言うが、それはだめだ。うちの風呂は追い炊きが出来ない。毎日、十、数えるためだけに湯をはるのは勿体ない。隣のビルにはフィットネスクラブが入っている。プールもジムもスタジオも完備されているが、ジャグジー風呂と時々のサウナのみを銭湯代わりに使っている。Mちゃんとはそこに通い始めてすぐに知り合ったから10年ちょっとの付き合いになる。いつもにも増して愛想の良くないあたしにとって、そこでの友人はMちゃんとイノウエさんだけ。10年間毎日のように裸の付き合いはしてるけど、お互いの素性も年齢も全く知らないし、聞かない。ただ、Mちゃんには溺愛してる一人息子がいて、ああそれはあたしと同じだなってこと。あと、彼女には登山という趣味があって、そこそこ険しい山を一人で登る事も多いらしいってこと。そして、当たり障りのない世間話は多数。Mちゃんは日本人離れした美人で小柄なスレンダーでヘソピアスをしている。ヘソのダイアピアスがイヤミに見えない希有な女性だ。あたしは所用でしばらく東京不在だった。ドライヤーをあてながら、顔見知りのKさんに「あれ、Mちゃんいないね。』と言ったら、「山でカツヤクシテルノヨ。」と聞こえたので、「へえ、頑張ってるんだ~」と返すと物凄く怪訝な顔つきになったので、ドライヤーをオフにした。「山で、カツラクシシタノヨ、滑落したの、死んだの、滑落死。」そのあと、彼女はナニカをまくしたてていたけど、何も耳に入らなかった。帰宅してネットで検索すると、確かに武蔵野市在住女性(62才)、奥多摩で滑落死という新聞記事がある。Mちゃん、62才だったんだ、家族が捜索願いを出しても見つからず登山者の知らせで10日後に発見されたって。傷みが激しいというけど滑落の衝撃のためか野ざらしのためか、20~25メートル崖下の沢で見つかったって、それってもしかして即死じゃなくて意識があったんじゃないのか、やばいなぁ息子に会えなくなっちゃったなあとか思いながらなのか、ピアスはちゃんとへそにくっ付いてるのか、絵がどんどん浮かんで吐きそうになる。イノウエさんは落ち着いたら連絡先を調べてせめてお墓参りはしたいって言ってる。そうしないと腑に落ちないと。あたしは墓参りなんてしない。腑に落ちなくたっていい、急にいなくなったんだから腑に落ちないのは当たり前だよ、Mちゃんはずっと宙ぶらりんの存在でいいです




イメージ 1「改憲勢力」が3分の2に到達、選挙が終わった途端、改憲の2文字がメディアで頻繁に。そこ焦点じゃないって言ってなかった?角栄の銅像の前で、小沢一郎が、「以前の自民党と違ってしまってるんです、安倍さんのは!」って演説してた。確かに、あたしが有権者になったばかりの頃と丸っきり違う気がする、かつての自民党の政治を良かったと評価しているわけではないけれど、なんで自民党がこんなにペラッペラになってしまったのか探る必要があるのかも。
色々の雑事で朝まで作業、寝ないで、朝一番の投票。夕方、三鷹での仕事を終えた息子から連絡あり。座・高円寺に向かう途中で吉祥寺に寄って投票したいから投票所に整理券を届けてという。投票を終えた息子と駅前で、アイスカフェオレ。チャチャッと情報交換。←イマココ。
野菜は、スーパーじゃなく八百屋で買う。安いし新鮮だし美味いし、特にぬか漬けが信用出来るし。数日前、特売のとうもろこしを選んでいる時に、50才位の女の人が、「お母さんが死んじゃったの、こういう時はどうしたらいい?」と、店のオバチャンに話しかけた、と思ったら、「あなたのお母さんて、生きてる?」って、あたしにも聞いてきた、「お陰で生きてます、まだ」と応えると、「私のは死んだの、困ってるの、どうしたらいい?」、八百屋のオバチャンに目をやると、指で頭を指してクルクルしてる、更にそこにやってきた近所のオヤジが小声で、「キモチ悪いなぁ、こういうのが危ないんだから、とっとと役所に連絡した方がいいんだよ!」とか息巻いてる、おいおい、なんだこの八百屋、そりゃ少しは変わった表現だけど、こういう途方に暮れた人に対して、そんな身も蓋もないと言うか、ユーモアのカケラもないと言うか、ペラッペラになってるのは自民党だけじゃないなぁ、なんかもう、普段は人のよさそうなオヤジやオバチャンに、ちょっとした事で役所や警察に通報されちゃう時代が来たなぁ、気の利いたぬか漬けは残念だけど、この八百屋こそ危ないから、もう買わないです。


*備忘録*
アイナちゃん一家、南阿蘇スローライフを切り上げてジャマイカへ、その前にウチでご飯。
久しぶりに、浜さんとカンノとあたしの三人が揃う、新宿三丁目にて。
母、92才の友人トヨチャンに借りた16畳程の畑で、初めてのお百姓仕事の真似事開始。
イギリスのEU離脱、今月末、英国人のJonと話す約束。
Lちゃんと息子の件は静観、かなり静観、もう知らんぷり。
国立演芸場での師匠の独演会、流石の趣、息子の出来もまあまあ。
迷ったが、結局、第一ホテルでのMちゃんのお別れ会に出席。
次回作準備、ちっとも進まず、ゴールデン街の火事のせいだ、そうに違いない。
木村タカヒロ展へ行ったのだ、展示には幾度も行ってるが、LivePainting(上の写真は出来上がったばかりの作品)は初めて、木村さんとは積もる話しがお互いに山程ある、この展覧会が終了したら直ぐ会う約束、展覧会は今月18日まで。http://faceful.org/



 2016/9/27(火) <戒めのために記す>
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あたしが悪かった、迂闊だった。
愛知の実家に行くたびに毎回、猫連れ移動、今回キャリーバッグの蓋が途中で破損した、実家近くのバス停でキャリーバッグから飛び出しパニック状態で走り出して闇に消えた、母と妹家族と従姉妹に出動要請するも、母は高齢ゆえ妹家族達は騒がし過ぎるゆえ、ますます足取り掴めなくなる不手際、みんなを返し夜の8時半から翌日の昼近くまで不眠不休で探し歩くも見つからず、昼過ぎになっても手懸かりがなく息子に泣きながら電話、「ねぇ、猫の一生として考えてみてくれる?7年間もぬくぬくと生活をしたんだから残りはたとえ厳しい茨の道でも自由なノラの方が幸せなんじゃない?自分自身の一生を考えたらそんな風にも考えられない?」等、なんとか楽な気分になろうとするが、「見つけられないなら一生東京に戻らないで」と息子、そりゃそうだ痩せこけた猫の姿を想像しながら、この肉美味いねと言いつつ李朝園の焼肉やら、うな鐵の鰻を喰らえるはずがない、実家の庭で蝉に驚き逃げ惑うようなマンション完全室内飼いの猫だ、今更ノラになっても到底エサにありつけるとは思えない、逃がしてしまうというドジを踏まなければ少なくとも向こう十年間位は生きてるはずなわけで、そうなると猫の痕跡だらけの東京の家にいたって平静を保てるはずもなく、あたし自身の向こう十年間も確実に悲惨になるに違いない、潰れたマメでバンドエイドだらけの足を引きずって歩きながら、考えようによっては十年間は猫を探すだけの人生を送れという啓示かもと思うようにさえなり、それはそれで修行だな、台無しな人生なんかじゃないシンプルな修行なんだという納得にいたり、大通りに死体がないか探し、殺処分を恐れ保健所に問い合わせ、お寺の山門の掲示板やスーパーやドラッグストアにチラシを張らせてもらい、一軒一軒にポスティングし、、母は母で老いた友人達を総動員なことになり、小さな町が大変な騒動に。一旦帰京して長丁場の支度を整え長期戦の構えか、そうなってくると実家の家族達はもはや猫の心配というより、狂気じみたあたしに長居されたらどうしようという心配、数日前に新宿ゴールデン街で出会った旭川の整体師に電話、何故というに、彼は宜保愛子よりスゴイ霊能者と親友だから困った時はいつでも連絡をと言って名刺をくれたのだった、スゴイ霊能者に取り次いではくれず「時には運を天に任すということが大事かも」とすげない返信メール、あたしも相当に見境がなくなってきた、弱気になっては息子に電話、「捜索範囲を広げ過ぎてる、逃げ出したエリアを徹底的に探せ」という指示、はいつくばったり寝転びながら側溝のコンクリートの蓋の下を一つ一つ点検、コンクリートの蓋が二つや三つ繋がってるところもあれば長く連なってるところもある、その通りでコンクリートの蓋が一番長く連なってる(25メートル位)側溝を覗き込み、懐中電灯で照らしながら名前を呼び掛けてみる、あっ、するとどうだ、猫っぽいシルエットが揺らいだ、びっくりさせないようにあえて小声で呼んでみる、僅かにニャと鳴いた、慌てて義弟に電話、「側溝の一方を押さえている、片方から逃げちゃうかも、直ぐに来て!」義弟と甥っ子がやってきた、「え?でもいないよ、コンクリートブロックの蓋を持ち上げてみてもいないよ。。」「でも鳴き声が聞こえたんだから!」「空耳じゃね?いよいよ幻聴?」とか言いながら引き上げていった、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿またしても騒がしく捕まえにやってきたから怯えて逃げたに違いない、辺りにいる事を確信してるあたしは、呼吸を整えゆっくりと落ち着いた声で呼ぶ、すると高い塀の向こうから消え入るような鳴き声、いたいたいた、逸る心を押さえて鉄製の門扉から覗く、いた、間違いない、玄関でピンポンなんてしない、誰か出て来たら逃げてしまう、ロックをこっそり外し不法侵入、目と目が合った、名前を呼んでみた、鳴いて応えた、近づいてはこないが逃げはしない、そっと抱きすくめて確保、直ぐにゴロゴロ言ってる、ゴロゴロは言ってるが落ち着きがない、念のため義弟たちに車で迎えに来てもらい本物の確保、その翌日パセリちゃんが案内してくれたペットショップで小型犬用の大きめキャリーバッグを購入、これはそれに入って東京に戻った時の安堵の表情。



それにしてもこの何の変哲もない平凡な猫への執着はどうしたことか?
行方不明ほどオソロシイ喪失はない。

いっそ大通りで死んでてくれれば決着が着くのにとも考えた身勝手な心の狭さ。



 新宿でシン・ゴジラの後、末広亭で春風亭一之輔、あとアゴラで遊園地再生事業団、それぞれの感想はまた改めて。

 久しぶりに解体社、海外ツアーの日程等。

 吉祥寺ロフトで買い物、とても感じの良いレジの店員、出口で支払い金額が大幅に違うのに気付き引き返し指摘、するととても感じの悪い人に。あたしが間違いを指摘して更にそれがなぜそうなったかを聞いたからか?だって、一万円位のはずが、二万円以上の支払い金額って!間違いを指摘されると公の顔つきから個人的な顔つきになるね、まぁ大抵の人の習性として。




  コウスケ君と木場で待ち合わせてARICAを観に行った。終演後の中華料理屋でARICAの人々と話す。出演者は安藤さんと首くくり栲象(たくぞう)さんの二人。次回のラドママプロデュースに出演していただく予定になっている安藤さんには太田省吾の後継者としての自負がある。一緒に行った解体社の日野さんは土方巽の言わば最後の愛弟子だ。話しの流れで、栲象さんが言った。「二人には、師匠が誰かがはっきり分かる。しかし、あなたにはそれが見えない。」そこにいたみんなは一瞬、解せない表情をしたが、内心あたしは嬉しくてしかたなかった。そして、ふと思い出していたのだった。

 

 渋谷パルコの立て替えに伴い、今、パルコ劇場が休館になっている。ほぼ40年前、その劇場がまだ西武劇場と呼ばれていた頃、当時所属していた早稲田小劇場の主宰者である鈴木忠志さんに連れられて、寺山修司の「中国の不思議な役人」を観に行った。まだ真新しいような劇場の開演前のロビーで、寺山さんが鈴木さんに「これがオレ(のやりたい舞台)だと思わないでね、商業用だから。」と独特のイントネーションで、はにかみながら言っていた。談笑する大柄な二人のかたわらで、あたしはキョトンとしていた。ふと、寺山さんに「この子、どうしたの?」と聞かれ、鈴木さんは「捨て猫を拾ってきたんじゃないぞ、ウチは天井桟敷と違って家出はいないんだ。」と苦笑しながら応えた。
 
 「この子、どうしたの?」・・その響き、その時も無性に嬉しかったが、出自が分からない、どこの馬の骨とも知れないとか評価されると、あたしは無条件に喜ぶ性分なのだ。

 劇団に在籍中の足掛け11年の間にあたしの隅々まで入り込んだ特別な演劇メソッド。思えば退団後の30年間は、特別なメソッドから自覚的に遠くへ遠くへと離れる旅だった。メソッドやスタイルや型は重要、勘三郎も言ってるけど型があるからこその型破りなんだし。だけど、常々丸腰でいること、素性を見破られないこと、どこの馬の骨とも知れないと思われること。ホントにカッコイイ素浪人は、一見身元が確かなんかじゃなくて罵られちゃうようなヤツなんだし。




 

 2016/11/6(日) <さようなら、ありがとうございました。>

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   毎年恒例の、京都知恩院へのお参り。墓はないが、父の納骨先。墓は地元の愛知にある。母のお伴。去年はついでに宇治の平等院へ、今年はもう少しだけ足をのばして奈良へ。奈良は小学校の修学旅行以来なんじゃないか。東大寺大仏前の母がちょこんとしてて可愛い。公園の鹿がなぁ。鹿には罪はないが、公園の鹿は苦手。興福寺の阿修羅と心ゆくまで向かい合えたことは幸福。
 息子のアパート更新時のちょっとしたトラブル、コウスケ君の新居引越しに関わる気がかり、S君の離婚等、さくさくと首尾よくクリア出来て一安心。あと、目下の心配事はOさんの病状。ホントに彼は病気なのか?メキシコでのシンポジウムの仕事を断ったくらいだからホントなんだろうが、死にそうな状態で電話してきたりするから、心配で翌朝こちらから電話するとビックリするほど威勢よくハツラツとしている。本人が一番その症状に翻弄されてるだろうから気の毒ではあるが。あんまり起伏が激しいとなぁ。35年前の彼のスバラシイ論考が「別役実の世界」に掲載されていて、今それを読みつつ次作のことをアレコレ考えてる。とにかく一刻も早く検査入院して、現状から脱却してほしいよ。まわりもだいぶ疲れてきたよ。
  (元)義理の母Mさんが亡くなったのは9月に入ってしばらくしてからだから、ちょうど二ヶ月ほど前になる。あたしはヒドイ嫁だった。15年以上会えないままのお別れになった。葬式の様子は息子から聞いた。明け方、久しぶりに若い頃の彼女に会えた、なぜだか、あたしの方が死を目前にした病床に臥している、あたしの顔を覗き込んで、これは家の鍵、これは箪笥の鍵等と枕の隣に差し出して、あなたにも預けますからねと言う、でもあたしはもう死にますからと言うと、それはどうでもいいのよと少し笑った気がする、夢の中での穏やかなやりとりだった。さようなら、ありがとうございました。



 2016/12/31(土) <大晦日>
 あたしにとって大事な「その人」は大きな黒犬と暮らしている。その犬が今年も終わろうとする時に死んだ。その大きな黒犬は長い間とても大切な役割を果たしていたに違いない(その人にとって)。犬のお弔いを済ませた後、その人は海の近くに住まうと言う。その人は夏の終わりに高齢の母親を亡くしたばかりだった。時折、人の身の上には喪失が立て続けに訪れる。寂しいだろうけれど、生き切った大切なイキモノを目の前できっちり見送った清々しさもあるのかも知れない。......どうだろう、やっぱり分からないな...。
 
 「雨に唄えば」のデビー・レイノルズが84才で脳卒中により亡くなった。それに対しては、ああそうですかとしか言いようがない。しかし、その前日に娘のキャリー・フィッシャー(レイア姫)が60才で心臓発作を起こし亡くなったと聞くと、えっ!となる。えっ!となったが翌日にはすぐに忘れていた。それをまたこんなふうに思い出しているのは、この出来事を、ふと、あたし自身と母親に重ねてイメージしてみたからだ。それぞれの年齢もホボホボ同じだし、万一この事態と同じ事が起きたら、なんと言うんでしょうか、台無しだなと思うんですよね、息子とかは絶対に笑うだろうけど。あまりに思いがけない事が起きると、人はたいてい笑う。あたしが死んでその翌日におばあちゃんが死んだら、息子は笑うしかない。せめて、あたしより先に母に死んでもらいたい。それにしても心臓発作と脳卒中って、あきらかにフィッシャー親子は循環器系の数値がヨロシクなかったんだろう。
 順当にいずれ愛猫と母親を見送ってから、あたしも「その人」のように寂しくも清々しい心持ちで海の近くの暮らしが出来るだろうか?
 土井さんと共に、龍昇企画。上演許可のための別役さんへの手紙について等、打ち合わせ。あと、終演後の飲み会で久しぶりに藤井びんちゃんとの語らい、孤独死した場合の死体についてとか。 
 
 解体社忘年会参加したが、Kさんの不在が気になる。今年も大量の年越し蕎麦係。
 
 安藤さんとの二人忘年会を我が家で。コウスケ君も予定通りの居場所に落ち着いたし、土井さんとも打ち合わせたし、これでやっと上演時期が決まりそう。
 
 息子のやつ、来年1月は本多劇場だって。師匠の告知が遅く、チケット完売にて取れず。
 もう大晦日じゃないか。



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    母は毎年、ある授産施設から干支の置物をいくつか購入している。それをいつもあてがわれる。今年も吉祥寺のリビングに置く。定位置の酉。それを撮ってみたら、マルソーのポスターに焦点を当てたみたいになった。あたし宛ての直筆サイン入り。1981年のNY。てっきりパリだと思ってたがニューヨークだった。待てよ、記憶を辿ると当時もの凄く具合が悪かったはずで、……ということはミルウォーキーかも知れない。ティムさんに紹介されたに違いない。多分、マルソーが公演を観てくれたあとか、マルソーの舞台の終演後の出来事。SCOTの年表で確認するとその可能性が濃厚。トムがいたパーティー会場や、どこかのライブ会場で久し振りに会ったノーマンに励まされた事を思い出す。もしかして、その頃に皆んなでシカゴに車で行ったのはマルソーの公演に行ったのか?そうだ、あの時、ノーマンは道を間違えたのだった。いずれにせよ、あの頃マルソーに誘われるまま彼のパントマイムの学校に留学してたらどうなってただろう?いずれにせよ強烈すぎてさほど好きじゃないこのポスターをここに張ってるのは、この部分にナニカ白っぽいものが欲しかったから引っぱり出しただけで、そんな昔の事は長い間スッカリ忘れてた。忘れるもんだなぁ、あんなに色々と大変だったはずなのに。で、ますます思い出してきたんだが、ある人物にポスターの左端を破られちまったんだった。知りたがり、仕切りたがり、介入したがりの人物Sに。まるで、これまでのアメリカのような人物に。ところで、トランプによってこれまでの介入主義は変わるのか?トランプによる弊害ばかりをあげつらっているが、似非リベラリストのヒラリーが大統領になってたら他国への思いあがった介入主義はますます助長されていたに違いない。しかしなぁ、分かりやすい下品な男トランプ、これっていったいどんな罠?
  あたしは知られたくない、仕切られたくない、介入されたくない。そのニオイに敏感。そのニオイから逃げてきた人生だ。嗅ぎたくないから戦うことすら避けてきた。
  だから、あたしは仕切らない、介入しない。今年はそれを徹底してみる。




 2017/5/20(土) <そら豆>

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ぼやぼやしてるうちに一番好きなシーズンも終盤に差し掛かっている、3月の解体社公演の後の、井の頭公園の桜の後の、新宿でのDさんとの困難についての話し合いの後の、駒場東大前のMちゃんちでの伊良湖岬釣りツアー打ち合わせの後の、ダブルスの後の人騒がせな息子緊急入院の後の即退院の後の、息子のガールフレンドLちゃんとサシ飲みの後の、シリア(ダマスカス)の劇作家ムハンマド・アル=アッタール氏のトークイベントの後の、そこで久しぶりに会った激ヤセの白水社Wさん・今年から一滴もアルコールを口にしなくなったOさん・SCOOL/Sさん・アッタール氏達との飲み会でシリアがこのような事態になる前から愛用しているアレッポの石鹸についての質問の後の、クロちゃんとVさんのツーショット及びあたしとは相当険悪になっちまったなの巻の後の、国立のT子さんちへの訪問で飲みすぎの巻の後の、東府中競馬場で馬券購入初体験の後の、実家で共謀罪可決の忌々しいニュースを見ながらの空豆むき←イマココ。

  2017/11/18(土) <13回忌>

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  父の13回忌、干支が1回りした。12年前の11月、「モデラート・カンタービレ」のゲネプロの日、最期は看取れたが葬式には出れず仕舞いの親不孝。納骨先の京都/知恩院から足をのばして、奈良/明日香村へ。母と共に古墳を見て回る。写真は高名な石舞台古墳、蘇我馬子の墓と言われている。通常、墓を覆っているはずの土を全て失っている。


 
  12/8(金)&9(土)、劇団解体社に出演します。ポーランドから来日する劇団との競演スタイル、2本立て。これは面白そう。2日間だけだし、サッと始まってサッと終わるのがオツですな。
www.kaitaisha.com/new_production201712.html



 2017/12/31(日) <雑煮を仕込みつつ>
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  自殺者の数は年末年始期間中が最多なんですよって、友人Mちゃんが言った。産まれたての長女Kちゃんと入籍したての夫Sさんを連れて、東大からボストンのMIT(マサチューセッツ工科大)に年明けに移る。やがて帰国したらプロパガンダ研究の第一人者になるはずだ。ボストンを訪ねる約束をして、年の瀬のしたく諸々。とはいえ特別な事はしてない。蕎麦は毎日のように食しているし、元姑の作り方を踏襲して一人分のお雑煮を仕込むのみ。大根以外の根菜は全て揃ったのだが、柚子と三つ葉が売り切れ。だから大根と柚子と三つ葉の代わりに絹サヤ。確か去年も同じだったような。いいよ、もうそれが定番で。


  今年は大きな買い物をした。思い切ってなんかじゃない、ただ流れで。思えば大した決断もなく大抵のことをやり過ごすようにここまでやってきたのだが、時間は有限だし、生死を含め先方の事情(あ、あたしもか)もあるから、少しばかり急がねばの年末の心構え。

  新宿は大好き、厳密に言うと新宿から中野坂上そして中野にかけて。それゆえに、ゴールデン街問題は頭痛のタネなり。これに関してはやり過ごすしかないです、いつもの決断しない適当な方法で。あ、TVつけたら紅白にエレカシが。今、気付いたんだが、宮本の落ちつきのない熱さって、チェルフィッチュの太一君に似てる、来年は必ず太一君に会おう。あ、星野源、出てきちゃった、消す。


  2018/3/6(火)<年度末の日々>
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  数日前、Pちゃんと新宿ピットインへ、いったい何年ぶりだろう?そもそもピットインが今の場所に移って初めてかも、駅近くの居酒屋のあと、ゴールデン街へ、ナベサンでお腹いっぱいになって解散、Pちゃんアリガト。

 パセリちゃんがグロッタを引き継ぐという、嬉しい。17歳からのあたしを受け入れてくれてるグロッタがなくなるなんて寂し過ぎると思ってた、帰郷の度にこれまで通りグロッタに顔を出せるし、約束しなくてもそこにパセリちゃんがいてくれるなんてサイコー。

 早稲田での鴻ゼミ、この後、鴻さんは古代ヒッタイト調査のためにトルコへ、体調が心配だけど、解体社公演の千秋楽には帰国出来るらしい、報告が愉しみ。

 佐々木ファミリーも慌ただしくボストンへ旅立った、Tの舞台を観るために夏前までにニューヨークへ行きたいと思ってるから、その折に会えるはずだ、これも愉しみ、愉しみというのは作るものですね。

  それにしてもハードな1ヶ月だった。通常業務に加え確定申告2人分(息子!)、取壊しによるいきなりな引越し騒動(息子!)、どう考えてもあたしより忙しそうなのでその全てを肩代わりしているうちにインフルエンザ、罹患率高く毎年インフルエンザにかかってるな、しかし日本人が全世界の75%のタミフルを消費しているのを知ってから自然治癒の方針、1年に1回寝込むのも愉しみ。
  

  2018/3/? <人ばなれ国ばなれ>



2015/9/19(土) <だから、犬は大キライ>

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